福島地方裁判所 昭和25年(行)22号 判決
原告 青田昭治
被告 福島県公安委員会
一、主 文
被告が、昭和二十五年三月二十八日原告に対してした自動車運転免許停止処分を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、原告は、昭和二十一年十月二十八日自動車の運転免許(普通自動車免許第六八二二号)を受け、日東瓦斯薪工業株式会社の貨物自動車の運転手をしていたものであるが、被告は、昭和二十五年三月二十八日道路交通取締令第四十九条の二の規定により、「被告が定めた時期に同令第四十三条第一項各号所定の試験を受けること、これを拒み、或は怠り、又は試験に合格しないときは、原告の運転免許は、その効力を失う」との条件を附し、昭和二十五年四月一日から同年七月二十九日までの原告の運転免許を停止する処分をし、同年四月二日原告は、その通知を受けた。その理由はこうである。「原告は、昭和二十四年十二月二十八日午後五時二十分ごろ普通トラツク(第四三五四号)を運転中相馬郡石神村長野字的場七十番地地内県道上で、新谷清治と衝突し、そのため同人に全治三ケ月を要する傷害を与えた。」
なるほど、原告は、当日、右事故の現場を普通貨物自動車(第四三五四号)を運転して通過したが、その日の原告の行動は、およそ次のとおりであり、新谷清治をひいたことはないから、右処分は違法である。すなわち、原告は、午後一時ごろ原町を出て、大原不動に行き、そこで自動車に薪四百束を積載し(車体重量四百貫積荷重量千六百貫計約二千貫)午後三時ごろ、助手稲村昭衛、荷主遠藤雅雄と同乗し、帰途についた。おりから路上には一寸余の雪が積り加えて吹雪の状態であつたから、自動車の速度は、時速約十五粁程度であつた。石神村長野附近で薄暮となり、同所森蹄鉄屋を過ぎ、引地家の辺で背後から来たオート三輪車に道を譲つた。これより右現場を過ぎ、二軒茶屋に至つて始めて人影を認めたが、難なく原町に入り、帰社した。約十五分を要して荷卸を終つたのは午後五時ごろであつた。
しかるに、原告と稲村は、昭和二十四年十二月三十一日及び昭和二十五年一月六日ころ原町地区警察署に呼ばれ、清治をひいたことについて取調を受けた。もとより、両名とも身に覚のないことであるから、その旨を述べたのであつた。すると、昭和二十五年二月二日再び原告と稲村は、同署に呼ばれ、係官より肉体的精神的圧迫を伴う取調を受けるに至り、このため稲村は、ありもしないことを自白の形で述べさせられ、又原告は、前記オート三輪車に会つた事実を否定させられてしまつた。
かようにして作られた調書により、被告は、原告を加害車の運転手と認定したのであるが、かりに、原告が清治をひいたにもせよ、その事故を起すについて、原告には、何等過失がないから被告のした右処分は違法であることを免れない。
そこで、原告は、前記行政処分の取消を求めるため本訴に及んだものである、と述べた。(証拠省略)
被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は、原告の負担とする、との判決を求め、原告の主張事実中、原告が、自動車の普通免許を受け、日東瓦斯薪工業株式会社の貨物自動車の運転手をしていたこと、被告が、昭和二十五年三月二十八日原告主張の理由により、その主張のとおり、原告の運転免許の停止処分をしたこと、同年四月二日原告が、その通知を受けたこと、原告が、昭和二十四年十二月二十八日薪を積載した貨物自動車(第四三五四号)を運転し、長野県道を原町に向け進行したこと、この自動車に稲村昭衛、遠藤雅雄の両名が同乗していたこと及び、原告と稲村が、前後三回に亘り原町地区警察署で取調を受けたことは、いずれもこれを認めるが、その余の事実は、これを争う。同署の係官は、被害者新谷清治、これと同行したその弟の新谷健二及び、これと前後して本件現場附近にいた人々の供述により、清治は、三台の貨物自動車に追い越され、四台目の薪を積んだ貨物自動車にひかれたことが明らかとなつた。そこで、搜査を進めたところ、前の三台は、いずれも東北土建株式会社の自動車であること、一方遠藤雅雄は、当日石神村大原地内から薪を積んだ貨物自動車に乗り、午後六時ころ原町に帰つたこと、その途中、遠藤は、前方に三台の自動車が進行しているのを目撃していること等が判明した。又、事故の現場附近にいた高橋俊彦は、四台の自動車に追い越されたこと、三台目の自動車が、かつて同人の勤めていた会社の姉妹会社である東北土建株式会社の三五一四号であり、四台目の薪を積んだ貨物自動車の番号中に、三、五の数字のあることを確認していた。そこで、原告と稲村の取調が始まつたのであるが、その際、稲村は、任意に乙第十二号証に記載されているとおり述べたのでこれを調書にとつた。
被告は、右のような原町地区警察署の適法な搜査活動の結果に徴し、加害車の運転手を原告と認めたのであり、従つて、被告のした本件行政処分には、何等違法のかどはない、と述べた。(証拠省略)
当裁判所は、職権で、証人渡部利直を尋問した。
三、理 由
原告が、昭和二十一年十月二十八日自動車の運転免許(普通自動車運転免許第六、八二二号)を受け、日東瓦斯薪工業株式会社の貨物自動車の運転手をしていたこと、被告が、昭和二十五年三月二十八日「原告が、昭和二十四年十二月二十八日午後五時三十分ころ普通トラツクを運転中、相馬郡石神村長野字的場七十番地地内の県道上で新谷清治と衝突し、そのため同人に全治三ケ月を要する傷害を与えた。」という理由で、道路交通取締令第四十九条の二の規定により条件を附し、昭和二十五年四月一日から同年七月二十九日まで原告の運転免許を停止する、との処分をしたこと、及び原告が、同年四月二日、その通知を受けたことは、いずれも当事者間に争なく、乙第一、四、五号証及び本件弁論の全趣旨により真正に成立したと認める乙第二号証によると、新谷清治は、昭和二十四年十二月二十八日午後五時ころその弟の健二と共に自宅を出て、原町に向う途中、同日午後五時三十分ころ右的場七十番地地内の通称長野県道上で、背後より原町に向い進行して来た貨物自動車の左箱板にふれ、そのため清治は、左大腿部骨折の傷害を被つたことを認めることができる。
そこで、原告が、右加害車を運転していたかどうかについて考察する。
(一)乙第四号証(新谷清治の司法警察員に対する供述調書)には、「清治は、県道沿の引地家の附近で一台、これより約百米おくれて約十米の間隔を保つた二台の貨物自動車に追い越され、次の四台目の貨物自動車にひかれた。」旨の記載があり、乙第五号証(新谷健二の司法警察員に対する供述調書)同第二十一号証(福島地方裁判所相馬支部における証人新谷健二の証人調書)には「引地家の附近で、たいした間隔もなく進行して来た三台の貨物自動車に追い越され、そこから百米程歩いたところで背後から来た貨物自動車にひかれた。」旨の記載があり、又乙第七号証(木幡鉄夫の司法警察員に対する供述調書)には、「木幡は、原町から自転車で、石神村に向う途中、小川橋の附近で一台、次いで五十米ないし七十米の距離をおいて二台の貨物自動車とすれ違い、更に原町高等学校の正門附近で、県道から来た薪を積んだ貨物自動車とすれ違い、やがて、本件事故の現場で負傷した清治に出会つた。」旨の記載があり、あたかも、清治が、薪を積んだ四台目の貨物自動車にひかれたという、被告の主張にそうような観がある。しかし、右の記載の間には、若干の喰違が見受けられるのみならず証人加藤友三郎、高橋俊彦、佐藤直子の証言によれば、右証人等は、清治等と前後して原町に向い、県道を通行し、本件事故の発生直後、現場に来合せたことを認めることができるのであるが、右加藤、高橋は、当時三台の貨物自動車に追い越されたにすぎない、と証言し、又佐藤は、三台の貨物自動車が通つたことは間違いないが、四台目が通つたかどうか記憶がないと証言しており、前示、乙号各証だけでは、清治が、四台目の薪を積んだ貨物自動車にひかれた、との心証を得ることができない。
もつとも、乙第六、十号各証にも、被告の右主張にそう記載があるが、この点に関する乙第六号証(加藤友三郎の司法警察員に対する供述調書)の記載は、前後矛盾している上に、証人加藤友三郎の証言に徴し信用できないし、又乙第十号証(搜査復命書)の記載部分は、乙第八号証(遠藤雅雄の司法警察員に対する供述調書)に照らし、にわかに信用しがたい。
更に、乙十一号証(高橋俊彦の司法警察員に対する供述調書)には、「高橋が、四台目の薪を積んだ貨物自動車の番号中に、三、五の数字のあるのを確認した。」旨の記載があり、証人佐藤敏雄は「右調書は、高橋の供述するところをそのまゝ書いたものである」旨証言し、又搜査官が、原告を加害車の運転手と判断するについて右調書を有力な資料の一つに採つたことは、証人佐藤与市の証言、乙第十八、二十号証の記載により明らかである。しかし、乙第十一号証の右記載部分及び証人佐藤敏雄の証言は、前示証人高橋俊彦の証言と対比し、信用することができない。
又、三台目の自動車に乗つていた証人渡辺利直は、「昭和二十五年一月下旬原町の持立工場で、原告と会つたとき、原告は、新妻誠に対し、四台目は、俺(原告)の運転していた自動車だ、といつた」旨証言するが、乙第十三号証(新妻誠の司法警察員に対する供述調書)に本件弁論の全趣旨を加えて考えると、その際原告は、「森蹄鉄屋の附近で、前方に自動車の尾燈を見たが、もしそれが、新妻の乗つていた車なら、自分(原告)は、四台目の車を運転していたことになるわけだ。」と述べたにすぎないことがうかゞわれるから、右証言及び乙第十三号証も、未だ被告の前記主張を支持するに足りない。
次に、原町警察署における搜査官の取調に際し、原告と同乗していた稲村昭衛が、清治と衝突した旨自供したことは、原告の認めるところであるが、それが任意されたものかどうかは、しばらくおき、乙第十二号証(稲村昭衛の司法警察員に対する供述調書)には、本件事故の現場にさしかゝつたとき、突然原町に向い、道路の左側に二つの人影を認めた。同時に背の高い方の人が少さい方の人に抱きつくようにして「道路の方に約三尺位手前の右側に反動で入つて来た。」そこで危い、と思つたが、そのとき自動車は、すでに通過し、左側の後車輪で、その人をひいたと見えて「ドカツ」とシヨツクを感じた」との記載がある。右の記載中「背の高い人」が清治をさし、「小さい方の人」が健二をさすことは明らかであるが、「道路の方に」云々の記載は、道路の中央へ、すなわち自動車の進路へ近寄つて来たとの意味にもとれるし、又証人佐藤与市の証言のように清治の体が自動車にふれ、健二の方へ倒れかゝつたときの状態を説明するもののようにも受け取れ、その文章は、必しも定でない。たゞ、前者だとすれば、清治が、進行方向に向つて健二の右側を歩いていたこと及び清治等は、自動車が背後から来るのを知つて、道路の左側にさけていたことは乙第四、五号証により認めることができるのであるから、健二の方に抱きつくようにして、道路の中央へ出て来るのは、不自然であり、又乙第八、十二号証原告本人尋問の結果及び本件弁論の全趣旨を総合すると、稲村は、進向方向に向い自動車の運転台の左側に座を示めていたこと、自動車には、約四百束の薪が積まれ、その速度は、約十五粁ないし二十粁程度であつたことを認めることができるのであるから、稲村が、前段認定のように自動車の箱板にふれて倒れかゝる清治の姿を目撃することは、時間的にも、物理的にも困難ではないかと思われる。
更に乙第三号証の一の記載部分同第二十七号証及び証人佐藤直子の証言によると、事故発生の当日は、積雪約二糎に加えて、午後四時ころから雪がふり出したことが認められるのであつて、このような状態で、薪約四百束を積んだ普通の貨物自動車が時速十五ないし二十粁で進行し、その後車輪で通行人の足をひいたとしても自動車の運転手や助手が、前記記載のようなシヨツクを感ずるかどうか疑わしいものがある。
更に、右調書には、或はひかないで済んだかも知れないとも思い、その場では勿論、帰つてからも誰にも前記のことはいわなかつたが、その後主人の遠藤雅雄から現場附近でオート三輪車に追い越されているのだから他人のやつたことを背負う必要はない。そんなことはきかれてもいわないように注意された、との記載があるが、乙第八号証によれば、遠藤は、オート三輪車に追い越されたことは知らなかつたことがうかゞえるし、又この点に関し、原告は、本件事故の現場附近で、オート三輪車に道を譲つているから、加害車を運転したのは原告ではないと主張し、証人佐藤正二、高倉清宗、佐藤直子の各証言を総合すると、本件事故発生の当日午後四時三十分ころオート三輪車が、現場附近を通過したことが認められる(この認定に反する乙第二十二ないし二十二号証は、信用しがたい。)のであり、以上の諸点にかんがみれば、乙第十二号証の記載は、真実に合致しないとの疑問を抱き得る余地が生じ、従つて、右乙第十二号証により、原告を加害車の運転手と判断することはできない。
三、原告が、本件事故発生の当日夕刻ころ本件現場附近を自動車を運転しながら通過したことは、原告の認めるところであり、且つ原告提出の証拠だけで、清治をひいた自動車が、原告の運転した自動車でなかつたと考えることもできないのであるから、原告を疑うべき一応の理由はある。しかし、右に述べた本件に現われた一切の証拠を勘案しても本件行政処分にかゝげられた理由を肯認するに足りないから、右処分は違法であることを免れない。
従つて、じ余の点の判断を省略し、原告の本訴請求は、正当としてこれを認容すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 斎藤規矩三 菅家要 篠原弘志)